風ニ舞ゥ謳

おどり  うたい  かなでる  風の畑   なんだか ここちよい、、、、 
つちのめぐみを わかちあう みんなの畑を日々うごきまわる  平野さんのまわりで おこる わくわくを 舞う そんな日々
from 青空生産農場 南アルプス市 山梨県  

カテゴリ:アナログ

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なんと、おはずかしながら、田作りを初めて作った。
御節料理を男子系家族があまり歓ばないものだから、御節料理は実家でいただくことにしていた。
しかし、長男が数年前に独立してから、
とうとう、「うちが実家」になったらしく(笑)
めずらしく元日に人が集まる。

じぶんのところに人が集まる利点があって、「作り過ぎ」はあっても「食べ過ぎないで済む」。

なので、すこしだけ創った食べ物を昔から持っていた骨董品のようなお重に詰めてみようかな、と、想う。

家を地味に整えながら、厨房と文書の作業と、三元ぐらいの作業を同時進行。ラジオの過去の放送を聴きながら。
こんな時間がサイコーにしあわせ。

ビジネス系のお話を聴きながら、10年来自分が独りでやってきた 農産物の販売のブランディングに出てきたキーワードがバリバリ出てくる。

すでに終わってること、今に映ること、スピード感あるメディア戦略が面白い。わたしがやってきたことと かぶってました。アートであり、ゲームであり。

これを真剣に楽しみつつ、収入を得てゆくアクションが 面白い。
わたしは、農家さんとの関わりもあって、失敗はゆるされなかった。当時、規格外品の対面販売は、走り。
今でこそ週末に都内で大手が産直販売のマルシェ事業をしていて、いまは、それも消費者には毎週のコモディティ=日常になりつつある。

順番を間違えてはいけないのは、
農産物あっての 消費。
消費者が先、ではない。
ものが溢れているのが当たり前な都市部では、麻痺が起きる。



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きんかん甘露煮


義理の妹が鮎の塩焼きを持ってきてくれるというので 添えるためにきんかん。ホントは生でバリバリかじるのが好きだ。

黒豆


ここ5年以上煮ていなかった黒豆。

グレイ、黄色、黒、と、くりゃ
あとは蒲鉾、 きんとんに助けてもらえば、
これで、彩はなんとかなるよね。


========FB  平野伸次さんの記事から========


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遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
たくさんの方に、助けられ、見守られ、新年になりました。
いろいろと、ありがとうございます。

さて、1ヶ月遅れの小麦、寒冷紗が足りなくてビニールを張っていたところは、無事、しっかり発芽。
寒冷紗のところも、小さく発芽。今取ると、鳥に食べられてしまうので、今暫く、かけっぱなしです。

...

しかし、麦踏みは、ドキドキする。踏むのが怖い…。

麦は寒さにも強く、自分の想像力を超えている。
もと、雑草で、その中でも選りすぐりの力を持った雑草だったそうだ。
というか、雑草=益草=神草という言い方があるが。


昨年は、どさくさの中、いつの間にか、たくさんの機械を買ったりもらったりしたので、
お金もかかるが、今年はそれらをしっかり活かしたい。


お米も無事収穫、地主など、必要なところにお配りして、ようやく販売になります。


半分の田んぼが草取り、間に合わなかった。収量がどんっ!と減った。
その経験を活かし、新たに増えた田んぼを前に、年末年始、1枚ずつ、2ヶ月遅れのトラクターかけをしている毎日です。


今年も草と競争だ。
めちゃくちゃ、フライングスタートして、深水出来るように整備し、代かきも最低2回する。

決算、事務作業も早くする。中間的就労支援事業で、役所への事務作業に出遅れて、補助金が取れなかった。今も10日締切の書類がある。

全部が繰り返したくない良い経験になった。
出来ることを一つずつ、成していこう。

ホームページ…あったのです(^_^;)、更新しました。お時間許せば、よろしくご参照下さいませ。
http://aozoraseisan.jimdo.com




「またげない溝」------ こどもの遊びの壁


途方もなく 遠く 深く 感じた水路の向こう側。
目の前にある 溝は 4歳の私の明日を約束しなかった。

向こう側では 今まで 仲間だったはずの 姉や 姉の友人の影が
大きな塊となって、今やおそしと 私がそこを 飛び越えて対岸に移るのを待っていた。
このあとの遊びにさわるのだから それは真剣だ。
もう、一刻の猶予もない。こどもたちにとってのその時間は
前もあともなく、かなりの冷酷さを持って 進んでいく。


4歳のじぶんの足では 越えられないおおきな おおきな 恐怖となって立ちふさがった。
だれも助けてはくれないことぐらい自分で知っていた。
だれもわるくはない。そんなちっぽけな時間の間に 自分は、越えられない自分の体や足を恨んでいた。
そんなときは 案外 兄姉や その友人なんてのは当然のごとく冷酷で。
 いえ、冷酷と言っては いけない。大人になって考えると、
みんなそれなりに 自分自分で 手一杯だったのだ。


さして、水位がないことだけが救いだった。
降りてしまって 登れるのかが わからない深さだった。
秋山川と祖母の家の 間にあった水路である。
その水路を越えられないことこそが じぶんのその時の地域との関わりだった。
おおげさだけど、そんなことで こどもの行動範囲というのは きまってしまうもの。
案外単純なものだ。
夏休みがもう 終わる。
現代の子どもたちは この夏 身の回りの深い境界を超えて 
とおくに 遊びにでかけただろうか。






佐野の水路

 実際の「またげない溝」
[栃木県佐野市赤坂 秋山川に並行する水路 2006年撮影]

今に はじまってない。

掃除機 使わない。
ホウキ、乾拭き、お茶殻で、案外安い掃除機よりキレイ。

TVは契約しないと観れない地域でしたから、
一年ぐらい契約しなかった。
当時、中学、小学高学年の息子いました。

恨み言、言われてません。

髪の毛、切るのも、自分で。家族も全員。

電子レンジも手から出た火花でぶち壊してから
5年ぐらい買わなかったことある。

車も地方で暮らす時だけ、中古車を買っていた。






じぶんエネルギー稼働すれば、
頼りすぎない


そんなん 昔のひとはずっとやってました。

キリがなく消費しているのは
自分だと想う。

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